一度きりの青春


不揃いの制服に身を包んで公園に座っている、非常に良く出来たジャケットだと思う。まさに青春そのもののようだ。「制服は青春の象徴だ」という以上に、その微笑が思春期の壊れ易く貴重な笑顔に見えてくる。
けれども、当事者たる彼女たちはそんなことには全く気付いていないし、「青春だなぁ」という自覚すらないんじゃないだろうか。「青春」とは、過ぎ去った思春期を振り返ったとき、初めて規定されるもの。「今思えば、あの頃は青春だった」という思い出こそが、青春の正体なのだと。だから、彼女らは大人になるまで、このジャケットに青春を実感することは無いんだろう。
今思えば、僕は青春を随分と無駄遣いしてきたような気さえする。でも、きっと青春に悔いのない人なんていないんじゃないかな。すぐ手元にダイヤのような青春があったことに、誰も気付いていなかったんだから。だからこそ、僕らは青春只中の彼女らが羨まししくて仕方なくて、同時に強く心惹かれるんだと思う。でも彼女らだって、きっとダイヤのような青春の只中にいることに気付いていないはず。
あの子たちが高校を卒業する頃、このジャケットを見て何を思うのだろう。きっと、僕らが卒業アルバムをめくる気持ちとそう変わりはないと思う。ただ違うのは、それがあまりにも壮絶な青春だった、ということだろうか。