「卒業」の意味

豊中のWBコンに行ってきました。
一言で言えば、Wはやはり偉大な先輩なんだなぁ、と。


娘。がBerryz工房を「子供扱い」する様は、ベリヲタには不快を催さざるを得ないもので、その点では数週間前のハロモニでのエリック亀造コーナーはひどく評判が悪かったのだけれど、僕は見ていません。たまたま見忘れただけなのだけど、最近はハロモニ自体を「見ない」のがデフォルトになってきているような気すらします。まぁ、それはそれとして。
子ども扱い云々はともかく、モーニング娘。Berryz工房の双方に関わりを持たせたくない、と僕は感じていて、それは結局のところ生半可な先輩後輩関係を否定したい、ということかもしれません。つまり、娘。とてまだまだ発展途上なメンバーが多い中で、Berryz工房に対して相対的に「先輩」であるだけで「先輩面」されるのが気に入らないのだと思います。勿論、僕の極私的感情論で論理もクソもなく無意味なイライラに過ぎないのですけど。久住加入後は、一層この無意味なイライラは増すばかりです、困ったことに。
一方で娘。を卒業したメンバーについては、逆にBerryzに対して頼もしい先輩だなぁと感じるのです。この夏のラジオ公録での後藤や石川、WBコンでのW。それもよくよく考えてみれば3・4期であり、自分が極私的に娘。の3・4期に強い正の感情を抱いているに過ぎないのかな、とは思いますが。
けれども、この4人に限らず、「卒業」は実績であって、それだけ後輩に対して畏敬を持たれるに相応しい「格」を身につけている、いわば証明のような面があるのでは、と思うのです。実際に卒業ではなく脱退した矢口にこのテの畏敬は感じられないし、公録の司会もなんかイマイチいい印象は受けませんでした。「まだ格がない」といえば矢口推しには怒られるかもしれませんけれども。
Berryz工房を通して、モーニング娘。の「卒業」という事象が見え隠れします。面白いことです。当面、娘。からは卒業者はいないかもしれません。いえ、吉澤はもう羽ばたける「格」を持った存在だとは思うのですが、まだまだ彼女には仕事が残っています故。