よっしゃ!よっしゃ!よっしゃ!

℃-uteはドラマチックなユニットだ。
Berryz工房に選ばれなかった7人。よく「℃-uteを余り者の寄せ集め」と聞く。何のコンセプトも無い、バラバラのユニットだ、とも。けれど、俺は「Berryz工房に選ばれなかった」という事自体に必然性があるような気がする。
「選ばれざりし者たち」は、その後のあまりの待遇の違いにどんなキモチを抱いたことだろう? 決してBerryzたちを憎んだことは無いとは思うけれど、全く悔しさが無いといえば、それはウソだと思う。彼女たちだってBerryzたちと何ら変わりなく、歌いたいし、踊りたいし、ゆくゆくは単独コンサートで客席を埋めることだって夢見ていたはずだ。
彼女たちがそうしてくすぶっている間に、Berryz工房Zepp東京を埋めてしまった。あれから1年弱、すぐそこに居たはずのBerryz工房は、もはやはるか遠くに霞んでいただろう。
「ふれあいコン」への出演を果たしたのは、ちょうどそんなタイミングだった。初めてめぐる全国。果ては盛岡のド田舎にまで移動し、なっち・圭ちゃんといった大先輩の元で、「コンサート」を学んだ。℃-uteという名が与えられ、彼女たちは正式に「ユニット」としてBerryz工房を追いかけ始めたのだった。
舞波ハロプロ卒業発表の前日、突如春日部のハロプロパーティに彼女たちは現れ、4曲を踊った。この2日間はハロプロキッズ史上最も象徴的な2日間だったように思う。Berryz工房はこの後伝説の東京厚生年金会館にて一つの区切りを迎え、停滞期を迎える。
転機は、ハロパの千秋楽に訪れた。わっきゃない(Z)の発表。長く長く「余り者」としてくすぶり続けた彼女たちに初めて与えられたこの曲は、とことんハッピーで、パワフルで、そして少し甘酸っぱい初恋を歌った名曲。思えばBerryz工房デビューから1年9ヶ月。彼女たちはフルスロットルで猛追を始めた。

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俺はこの物語のほんの一部しか立ち会ってない。だから、あのふれあいコンのあたりから℃-uteのメンバーを見続けてきた人たちのことが、ちょっぴり羨ましくもある。Berryz工房だって最初はイベントのドサ回りで始まったのだし、「勢いがある」という点ではかつてのBerryzと一緒なのだけれど、唯一異なる点がある。
それは、彼女たちが「追いかける」側にいる、という一点に集約できると思う。
SSAのセンターステージに光臨した彼女たちには、「ここにいるぜぇ」の頃の5期の影を感じた。あの頃先輩たちを必死で追いかけていた5期の4人の影。あの時後藤が去って行ったように紺野と小川が去り行く一方で、新しい時代が始まりつつあるような、そんな気がした。頼もしくもあり、同時に、ちょっと寂しくもあった。
(いや、別に娘。の位置が℃-uteにとって変わられるとは思っていないけれどね。)