ショーとドラマ

前にみょださんが「娘。DOKYUは別にいらない、」って言っていて、更に続けて「頑張った『成果・結果』」が見たいのであって、その過程にはさほど興味が無い。」と。その時は適当に相槌打ったような気がするんだけど、今思うと、自分の考え方とは割と反対を行っているのかもしれない。考え方っていうか、求めるものっていうか。
「ショーを観に行く」人がみょださん、「ドラマを観に行く」のが俺なんじゃないだろか。
そこに繰り広げられるステージ・パフォーマンスに重心を置けば、必然的に「結果がすべて」という考え方になるだろうし、それは別に間違った考え方じゃないよね。常に最高のものを見せて欲しい、と願うのも当然のこと。
俺なんかは娘。やBerryzをドラマだと思って観ている。ドラマは生成変化するもので、時に俺たちは大どんでん返しを目撃したりする。それが楽しくて娘。を観に行ってるんだと思う。ついでに言えば、娘。にひっかき回されてる自分もまた「モーヲタ」というフィールドでドラマを演じているわけで、翻弄されること自体にパッションを抱いているのかもしれない。
娘。DOKYUって番組は、本来ありのままに生成されてゆくはずの娘。ドラマを、ある鑑賞者=番組の編集者の視点から恣意的に切り取ったものだ。そこにあるのは編集者にとっては真実であっても、我々にとっては虚像でしかない。だからあの時はDOKYUに興味を示さないみょださんに適当に相槌をうったんだろう。それはASAYANにもいえることで、結局自分が目撃するべきドラマは直接体験するほかない。だから、俺は現場に足しげく通うんだろうなぁ、と思う。
このへんは単なるスタンスの違いで、どちらが正しい、ということは無いんじゃないかな。俺はこういうスタンスだし、みょださんはそういうスタンスだし。ただし、ハロプロを「連続ドラマ」だと見立てたならば、やはり今のBerryz工房が面白くなくて、視聴率=現場に来るヲタの数も減少の一途をたどっているんだろう。そこに来て夏に新シリーズ放映=夏夏ツアーときたもんだから、視聴者=ヲタのモチベーションと製作者サイドの思惑はどんどんと乖離していかざるを得ないよね、って。
ところで、たまには別のチャンネルいれてもいいよね?
たまには、AチャンネルやKチャンネルをいれて、別のドラマを観てみたいの。
裏番組じゃないから、大丈夫だよね?