イコノグラフィ

 
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言うまでもないけれど、左が高橋愛の「19」、右が紺野あさ美の「アロハロ紺野あさ美」。
全く同じ構図でびっくりしたんだけど、写真集の業界ではよくある「おきまり」なのかもしれない。けれど、こうして並べてみると、全く同じ構図なのに全然違う印象を受ける。むしろこういう同じ構図を比較してみると、より撮る人の「スタイルの違い」が鮮明に浮き上がってくるのかもしれない。
「19」は最後の一枚を除いて終始こちらを見つめながら服を脱ぐ。以前「19」のテーマは「誘惑」だ、なんて話をしたけれども、まさにこの一連の所作は誘惑そのものなわけで、見ているこちらも彼女の視線に拘束されてしまう。妖艶な笑顔が一層こちらの視線の自由を奪い、曇り空が妖しさを増長する。
対して「アロハロ」を見て欲しい。こちらで眼を逸らすのは2枚目。この2枚目が「一瞬の無防備」を生み出す。突き抜けるような青空が爽やかだ。紺野の脱衣は誘惑ではなくて、完全にこちらに対して無防備な女性として映る。早い話が完全に自分が彼氏になったかのような錯覚を抱いちゃうわけだ。
言ってみれば、この「距離感の違い」が決定的なスタイルの違いだと思う。「友人をその気にさせようとする高橋」「彼氏の前でさりげなく脱衣する紺野」この二組の写真はそんな全く異なる二つの世界観を想起させるのだけれど、構図だけ見れば驚くほど同一で、いかにスタイルというのが世界観を左右するかがわかってもらえるかなぁと思う。もちろんこの想起は俺の解釈に基づいたもので、他の人がどう解釈するかはわからないけれど、少なくとも全く同じシーンには見えないだろうなぁと思う。
実はこういう作業は美術史を大学で勉強する学生が必ず勉強しなければならない「イコノグラフィ(図像学)」という学問と全く同じで、写真集とてルネサンスやらゴッホやらのエラい人が描いた美術とそう大差は無いように俺は思う。
むしろ被写体の選び方の段階でハロプロの写真集の方が勝ってるんじゃね?