10月、外伝

スイッチONのDVDを観た。
本当に泣けてくるDVDなのだけれど、「泣けてくる」ということはBerryz工房が一つの物語として続いてきたこと、そしてこの東京厚生年金会館が物語の一つのクライマックスなのだということの証明だと俺は思う。
結成後、握手会のどさ回りをし続けた。Wに帯同して全国をタイトなスケジュールの中ボロボロになりながら回った。俺はそこまでの歴史には参与していない。そこから後の歴史しか知らない。だから、そこまでの物語は実際に参与した先人ヲタ達の証言やVTRから推測することしかできない。後発であることの唯一の弱点はこの一点に尽きると思う。けれども、そこからでも物語に加わるのは遅くはなかった。むしろ、物語はそこから急加速度的に展開してゆく。
ハロコンで、パンツも見せた(一部メンバー)。全国7箇所を奔走しスペジェネを売り込んだ。そのスペジェネが今年楽曲大賞栄えある1位というのも感慨深くはある。(俺は投票していないけれど。)そうして辿り着いた単独コン「まるごと」。でも、それは一つの通過点に過ぎなかった。
翌々月。土日のWBコンに平日の握手会。彼女たちに夏「休み」は無かった。多くの人が、途中で体を壊して欠場するメンバーが現れると予測したが、俺は決してそうは思わなかった。むしろ、この試練を全員で乗り切ること、それがこの先に待つスイッチONを大成功へ導くための最大にして最後の関門だったように思われる。
「最後の」と言うけれど、それはつまり、今までのBerryz工房の活動はすべてスイッチONを成就させるための試練、関門だったというように俺は考えているということだ。その最後の関門が夏休みの「死のロード」だったと。そして彼女たちは「死のロード」をクリアした。一人の脱落者も出さずに。
舞波が卒業したことよりも、8人がスイッチONを成し遂げたという事実こそが重要に思われる。このコンサートは握手会回り、ダブルスタンバイ、まるごと、ハイスコア、そのすべてがあったからこそ、こういう形で実を結んだのだ。それは、まさしく「物語」の結末に他ならない。舞波の卒業は一見バッドエンドのようにも思える。しかし、それは正しくない。舞波Berryz工房の物語の「第一章」を全うして去っていった。スイッチONはBerryz工房第一章の、ハッピーエンドだった。それは奇しくも、舞波のこの言葉で象徴されたんじゃないかなぁと思う。
「悲しい別れではなく、笑顔で「さよなら」したいと思います。」(アンコール前MCより)