「自分の過去」から「彼女たちの現在」へ

「さぼり」は、高校時代の時分に引き戻されるような、ノスタルジー的悦びを与えてくれる曲であり、第2成長記というアルバムは専らこの効用をもたらす曲を多く収録しているように思います。その意味では、Berryz工房=ノスタルジーと捉えることは、それなりには真実を得ていることなのでしょう。
ただ、ライヴという空間に対峙してこれらの曲を聴いてなお、そのようにこの曲を捉え続けるべきかというと、それは大きな疑問です。というよりはむしろ、ライヴに立ち会った瞬間に、この曲が「自分の過去」(あるいは「自分が経験出来なかった過去」)を映す曲から「彼女たちの現在」を映す曲に転換するのではないか、という予感がしているのです。
自分にとっての「ノスタルジー」よりも、大好きな存在たる彼女たちが今まさに立つ「現在」の方こそに、興味があります。そしてその「彼女たちの現在」をあの子たちがどう表現するのか、いや、その「現在」があの子たちにどう「表れて」くるのか。音楽は自発的に「表現する」ものではなく、自然に「(結果として)表れてくる」ものだと思います。それはステージの上で実際に舞う彼女たちを目の当たりにすることで、よりリアリティをもつことでしょう。
にょきにょきチャンピオン、楽しみにしています。