自分を探す時

見せ場がなくても自分を魅せることが出来る、ってのは素晴らしいことで、嗣永って女の素晴らしさはそこにあるんだと思う。そして茉麻ヲタとして悔しいのは、茉麻にはそれが出来ないこと。それは茉麻が悪いわけではなく、ただただ嗣永が優れているという点にあるんだろうけれども、きっと茉麻も何かを掴む日が来るはずと信じて、見守ってゆくことにしている。
思えば紺野ヲタとしての俺はずーっと高橋を意識しながら紺野を見続けていた。「歌唱・ダンスともに圧倒的な力を持ち、5期を代表するメンバーとして君臨していた高橋。そして劣等生やら赤点やらのレッテルを貼られてしまった紺野。」そんな歪んだ構図を勝手にでっちあげて、いつか高橋を越えて欲しい、その一心で紺野のことを見ていた数年前。
本当は高橋に勝つことが大切なんじゃなくて、紺野には紺野なりの魅せ方があって、そのことに紺野自身が気付くこと、このことの方が重要だったんだよね。で、そのことに気付いたのが1st写真集や涙が止まらない放課後がリリースされた04年の中後半。
舞台をBerryz工房に移して俺が抱いているキモチはあの頃となんら変わりないんだなと思う。俺は推しメンが注目されることが何より嬉しいぞ!って人だから、嗣永に対するジェラシーはそれはもうハンパじゃないんですよ、実は。でも、じゃあ嗣永と真っ向勝負すればいいのかというと、茉麻がヒラヒラパンツ見せても仕方無いわけで(プロレスラーじゃないんだからさ)、茉麻なりのアピールが出来るようになって欲しい、この点につきるんだよね。そして彼女は明確になりたい自分を持っているはず。それこそが「後藤真希になりたい」という点にほかならないんだと俺は感じている。
これは誰に言ってもなかなか理解してもらえないし、茉麻ヲタに言ってもあまり理解は得られないことが多いけど、はっきりと思う。「茉麻はセンターに君臨するにふさわしい女性だ」とね。それは、何も嗣永や夏焼を超えることを意味するのではなく、彼女が本当に彼女らしさを発揮できるようになったとき、嗣永や夏焼とは全く違う魅力を放つエースになれる、と信じているということなのです。だから俺は信じてコンサートに通い続けるわけですよ。
それにしても高橋と嗣永とは、どこかで聞いた組み合わせだな。